Good-by Seventeen

どうなってんだよ

筋肉に覆われたうさぎちゃん

うわ!!!!!!!!

2年ぶり!!!!!!!

 

びっくりすぎ。

いつの間にか25歳とかになってるし。

過去の記事は羞恥心ではじけ飛びそうになるからあんま読めないけど、

ちょっと見かえしてみたら「こんなこと書いたっけ…?」ってなってる。おもろ~。

これからもおもろ~ってなるためにいろいろ残していきたいな。

 

てかこのブログの存在すっかり忘れてたよ。

またなんか文章に残したいな、今後のためにパソコンで文字入力するのに慣れたいな、そんでスマホからでもまとまって見れるとこに書きたいなとか思い立って、

そういえば!と久々に書いてます。

 

この2年の間の大きなニュースと言えば、

ジャニオタになったこと!!

 

いやぁ~~。マジで、予想外。

自分の人生には一生縁のないものだと思ってた。

わたし前まで、ジャニーズのこと

"チャラチャラ踊るナルシスト集団"だと思ってたんだよ(失礼すぎ)。

それがさ、SnowManに出会って、人生変わりました。

ほんと失礼なこと思ってた今までの自分をぶん殴りたい。

ジャニーズやSnowManの魅力を語ると終わらないので今度にするけど、

今や他のグループやジュニアにまで手を広げて、心が潤ってます。

 

それはそれとして、相変わらずメンタルはよわよわくんで、2020年の3月から通ってるメンタルクリニックは今も継続中。

薬の量も少しずつ増えて今はベストな量で落ちついてる。

これさえ飲めばしんどすぎてなんもできない、ってことにはならないから、

なんとか仕事は続けられてる。

1回薬切らしたのにほったらかしてて、離脱症状でやばくなったけど。

頭ぐらんぐらんして歩くのがやっとみたいな。それからは絶対に飲み忘れないように切らさないようにしてる。

 

んで!それとは別に!

今年の初めに軽度の急性難聴になって病院から薬もらってた。

もうすぐで飲み終わるけど、完璧には良くなってない。

そのせいで今日も仕事休んじゃった。

右耳が聞こえにくくなって、耳がこもる感じとある一定の高さの音が響く感じ、あと耳鳴りがあって、早めに病院行ったこともあって1週間薬飲んだら聞こえにくさは治ったんだけど、こもる感じはたまに起きる。

先生の話ではここから悪くなることはほぼ無くって、自律神経が正常になるまでに若干波はありつつ良くなってくらしいけど、ストレスを感じるとまだ耳が塞がる感じがする。

そうそう、原因はたぶんストレスなんだよね。先生から明確に原因の話はされなかったけど、飲んでる薬を伝えたからだと思う。

ネットで調べても、原因は発熱とか中耳炎とかの炎症、またはストレスって書いてあるし、仕事中に症状が悪化したことも含め、十中八九ストレスのせいでしょう。

思い当たる節がありすぎる。去年の12月がめちゃくちゃ忙しくて、その影響だと思う。症状が悪化したのもその業務をやってる時だし。

 

でもさ、原因がストレスって絶望的じゃない?

メンタルクリニックまで通ってるのにさ、ストレスを無くすなんて無理だし。

働いている限りついて回るし。でも働かなきゃ食っていけないし。

 

しばらくは大変な業務は無いんだけど、そのかわり教育係を任されてさ。

耳の調子が悪くて通常業務ができないなら適任だろうってことで私が選ばれたんだけど、その人がさ、寝るのよ。

マンツーで教えてるのに。

さすがに注意したけどもうさ、教えたくなくなっちゃって。

だって私も山ほど業務抱えてるのに、それを後回しにして教えてるのに、寝られたんじゃたまったもんじゃない。

あー、舐められてんだなって思うよね。

 

そのせいか耳閉塞感はまだ完全になくならないんだけど、癖づいちゃったらやだなーって、絶望的な気分になるよね。

まあ、いま自分ストレス感じてるんだなってわかりやすいのはいいけど(笑)

 

今年の6月に営業職へ異動って聞かされてて、無理すぎるから去年の11、12月あたりから転職活動してたけど、耳のせいでそれも中断。

てかどこの会社行っても同じじゃね?って思ってから転職する気も起きなくなって、とりあえず夏まで様子見るか、ってなってる。ひとまず異動してみて、無理なら休職するもよし、転職するもよし、辞めて失業手当もらいながらのんびり就活するもよし。

クビになることは無いんだし、夏のボーナスもらうまでは今の会社になんとかいようと思ってる。

 

ここまでが私の近況。ふう。

そんで、これからのことだけど。

25歳になったというのもあり、人生に対する焦燥感に拍車がかかってきた。

自分の夢に対して、そろそろ具体的な行動を起こさないとやばい(ってずっと思ってるんだけどね)。

ひとまず決めてるのは、

・今年中に50冊本を読む

文学フリマ出店

・最低1本は小説書く

ってことなんだけど、まあ文学フリマについてはマストじゃない。

作品として形にするのに、具体的な締め切りがあった方がいいのかなって思ったから。

なんかの賞に応募するのもいいけど、今までちゃんと完成させたことのない素人がいきなりはどうなんだ…とか弱気になったり。

書きたい気持ちがあるだけで、ストーリーがなかなか思いつかないのが難点だから、継続して小説を書けるようにしたいんだけど、目標が全部年単位なんだよな。

 

本は毎日読むようにしてるけど、インプットだけだと目的が分からなくなってめげそうになる(イマココ!)から、アウトプットについても毎日できる何かをやりたい。

休みの日に書くとかにするとさ、結局できない~ってなりそうだし。

実際休みの日は16時まで寝ちゃったり、家事で1日つぶれたりするし、週1、2回だけやるより毎日習慣化した方が強いだろ。

 

そんで放置してたPCを引っぱりだしたわけだけど、起動に時間がかかるし何よりスマホのほうがすぐ開けるから、PCとスマホ両方からアクセスできるのがいいなって。

Wordに起こしたりしてたけど、Googleドライブがうまく使いこなせなくて…。

このブログはこうやって思考を整理するために使うから、何か載せるってことはしないけど、なんかHP作ってそこに載せてこうかなぁ。

人に見せるってことで完成させようって意識になるし。

なんか最近インスタで二次創作の小説読んでて、こんな感じでカジュアルに小説書けたらいいなって思ったのよね。

書くことに対するハードルが高くなってるから、そこを何とかしたい。

 

ここまでだらだら書いて眠くなってきたし、明日こそ仕事に行かなきゃなんで今日はここまで。

なんだか何が言いたいのかわからんブログになっちゃったな。

まぁ近況報告と決意表明?みたいな。

いろいろぐるぐるしてたこと吐きだした感じです!

じゃ!また!

擬似カレドニア

めちゃくちゃ久しぶりにブログ書く。
過去の記事はもう恥ずかしくて! たまんねー!


23才になりました!
わたしって23才になるんだな。知らなかった。
もしかしてこれから24才とか25才になったりするのか。びっくりびっくり。


最近も変わらず、いじけたり絶望したりハイになったりどうでもよくなったり楽しくなったり。
アップダウンしてのたうち回ってる。
そういう性分です。


就職してからは精神衛生が少しマシになって、「もうだめだ~~(CV:ぼのぼの)」ってなるのは変わんないけど、「んじゃどうすれば変わるのか」って考えにシフトできるようになった。
心の筋力がついてきた。


まだまだぜんぜんダメダメだけど。


やっぱりこのまんま生きてくのはしんどいから、認知行動療法を身に付けたいと思ってる。
だってこのまんまじゃ嫌なんだー!!






最近どの占いサイトを見ても「2020年はやぎ座最強」って書いてある。マジか。


2020年、そして23才は『自己肯定感を上げる』『周りの人をハッピーにする』が目標!!


自己肯定感は、生きてて辛くならないためにまずは見た目から変えようと思って!

見た目改善すれば、自分の悩みの7割くらい解決する気がするから、まずはそこから変えていく。

卑屈さって相手にも伝わるから、自分の好きな人たちに、私といると楽しいって思ってもらえるようになりたい。


周りの人をハッピーにするについては、
仕事してく中で、ちょっと自分の心に余裕がなくなってきたのよね。去年の終盤あたり。
そういうときの対処法って
『自分にご褒美をあげてハッピーにする』か、
『人をハッピーにすることを考えてハッピーになる』かの2択しかないって気づいたの。


いつも自分のことばっかりでいっぱいいっぱいになりがちだから、今年は周りの人たちのことも思い遣りたいな。


きっと今年もしんどいことモリモリかも知れないけど、ウルトラスーパーハッピーな一年にする!




引っ越しもしたし、お気に入りの喫茶店と、行きつけのバーとか作りたいな。

全部錯覚

せっかくノートを持ってガストに来たのに、ペンを忘れてしまった。

のでここに書く。久しぶりに。

こんな落ちてるのいつぶりだろう。そんな久々でもないのかな。終わったら忘れるから。


ここ数日、2週間くらい? もっと前から?
もやもや悶々としている。


全然好きじゃないと言い聞かせながら毎日考えてしまっている。

ただの錯覚なんだろうけど。

手近にちょうどいい人がいないから。ただそんな気分になってるだけ。好きになってみたいだけ。

本当は私は惚れっぽいんだ。だから苦しんでる。



こうやって、指導してくれる立場の人に抱いてしまう好意は、錯覚だ。


人は何か疑問を抱くと、脳に空白ができてそれを埋めようとする。

それが解決され埋められると快感を得るようになっている。アハ体験なんかがそうだろう。

だから、分からないことや、新しいことを教えてくれる人のことは好きになりやすいんだ。

そしてそれは錯覚なんだ。ニセモノ。



それに、私なんかが人を好きになっても良いことが無さすぎる。

だから認めたくないんだ。無理すぎ。


まず、自分が気持ち悪い。

誰かを好きになると、その人が全部になって、その人に好かれようと振る舞う。それが気持ち悪い。

一挙手一投足、見られるためのものになって、発言も行動も見せるためで、気にして欲しくて、気持ち悪い。


私なんかが人を好きになってはいけないという思いが強くある。

太ってるし。太ってるからブスだし。お洒落も苦手。女の子らしく振る舞えない。部屋が片付けられない。ずぼら。声が可愛くない。発言も。汗っかき。アトピー持ち。箸やペンの持ち方が変。食べ方が汚い。

人と付き合うために改善しなきゃいけないことが山ほどある。だから無理なんだ。普通の女の子レベルに達するまでが途方もない。


こんな私が誰かを好きになったところで結果は知れている。傷つくだけだ。だから最初から好きにならないようにしている。


どうしようもないんだ。



でもどうせ、この気持ちだって、しばらくしたら今までと同じように“なかったこと”になるんだろう。


何なんだよ。くそ。

許せないだけまだマシ

考えれば考えるほど苦しいのでもう書くしかない。

何者でもない自分がつらい。

同年代で活躍してる人、才能に溢れている人、夢に向かって進んでいる人が眩しくてたまらない。


そういう人たちが、胸を張って自分を表現しているのを見ると本当に不思議な気持ちになる。

あの人たちはどうしてそんなに自分自身に胸を張れるのか。その自尊心はどこから湧いてくるのか。
どうしてそんなにしっかり自分の足で立てるの。


きっと育った環境が違うんだ。人から否定されたりしなかったんだ。受け入れられて、誉められて、だからそんなに自信に溢れてるんだ。きっとそうに違いない。

そんな風に自分を納得させて逃げている自分が心底情けない。ダサい。


そういう人たちは、自分を信じるのに人の言葉なんかいらなかったんだ。何を言われても、自分のなりたい姿だけを見て進んできたんだ。傷まみれでも立ち続ける強さ。


人のせいにしてる私も、ほんとはからかう側の人間なんだ。

小学生の頃、苦手な同級生がいた。当たり障りなく仲良くしてたけど、なるべく関わりたくなかった。
その子は歌手になるのが夢で、それを公言していた。先生が、クラスでその子が歌を披露する場を作ってくれたりして、神妙に聴いて拍手なんかしたけど、全然うまいと思わなかったし歌手になんてなれるわけないと思ってた。
実際その子が歌手になったという話は今のところ聞いていない。
でも、つまり私はそういう人なんだ。

きっと自分に自信がないから、自分が叶えられないかも知れないから、他の人もそうであれと思ってしまうんだ。
だって小学生の頃から歌手を目指して本気で練習したなら、なれるかもしれないのに、何を根拠に叶わないなんてバカにしてたんだろう。

数年前までも、イラストとかネット上にアップしてる人、それがあまり上手くなかった時に「人に見せるわりにヘタだな」なんて思ったりして。その間私は何にも、本当に何にもしてなかったのに、どの口がそんなこと言うんだよ。


今はわかる。何かを自分で作ったり、表現して人に見せること自体がこの上なく凄いことなんだってことが。


自分がそうやって叶いっこない思うから、私も周りにそう思われてるに違いないって自分で道を閉ざしてたんだ。輝いてる人たちはそんな無駄なことしないで、自分を磨いて前だけを見て進んできたんだ。

私が何者でもないなんて、そんなの当たり前じゃないか。

本当に、恥ずかしい。



人の言葉が自信になるのは事実だけど、なりたい自分になるために、人に頼ってる場合じゃないだろ。
どう思われようと自分を見せて、傷つく覚悟を持つことが大事なんだ。



今私に見せられるのは、ちょこちょこ作ってた短歌しかない。歌人になりたいわけじゃないけど、自分を表現したのは今のところこれくらいだ。

あまり上手じゃないけど、気に入ってるのを何個か載せる。



この距離で 不満はないけど 急にしゃがみこんじゃったら 気づかないでしょ(2018/7/4)


1日を1日だけを生きていく 明日生まれるまでは死んでる(2018/7/26)


つらい夢が昼に食い込み抜けないの それとも昼が夢を歪めるの(2018/7/23)


夢を見るシロクマになってあげようか 君が起きてるその間だけ(2019/3/7)



もっと沢山作りたいけど、今は毎日が精一杯。
せめてこの悔しく思う気持ちだけはなくしたくない。

言えなかった沢山の言葉が目詰まりを起こして溢れたものが淀まないうちに

布団にくるまり眠気でぼやけた頭が切なくてさみしくてどうにもならねぇ!



今日(昨日)がバイトの最後の出勤日だった。本当に良い職場だった。人がみんな優しくて、仕事も楽しくやりがいがあった。バイトしてる自分は好きになれた。寂しくてたまらない。


まずというかそれしかないというか、もう店長に会えないのがキツすぎる。
いや会えない訳じゃないけど。会いに行けば会えるけど。そう卒業生がひょこひょこ顔だすわけにはいかない。

本当に好きだった。



人の好意のジャンルは大まかに分けて“友愛”、“恋愛”、“敬愛”に分けられると思うんだけど、少なすぎるだろ。
≪多様性≫の世の中になってきているけど、感情ももっと沢山あって良いはずだ。「友達以上に好き」、「尊敬とは違った強い執着」などが全て“恋愛感情”としてまとめられるのは納得がいかない。
対象が異性に限らないことが共通化されてきたからこそ、なおさら感情のグラデーションに目を向けるべきだ。


というとなんだか説教臭くなったけど、とにかく店長のことが好きだった。どこのジャンルにも属さない好意。認めるよ、もう。思い出せば思い出すほど好きだったと確信する。

本当に、好きだった。



あと私にできることは、本当にごくたまに顔をだすことと(それも1年くらいが限度だろう)、恥ずかしくないように、一生懸命やっていくことだけ。


そして、いつか自分の中で、その思いを救ってやるしかない。

贅沢

せーっかくスノボ合宿で群馬まで来たのに、夜の飲み会でくしゃみと鼻水が止まらず「部屋戻りなよ!」って言われてひとり布団にくるまってる。
ざびじい"。


えー、風邪かなぁ。ずっとなんか寒かったし。明日もあるのに嫌だなぁ。


暇だしお酒飲んでぼわぼわしてるから久しぶりに更新する。



卒論やら何やらで、というか主に卒論で全然ブログ更新できてなかった。


なんとか提出できたので(本当にもう最後まで色々大変だった)、2019年&22歳の抱負でも書こうって思ってたけど、期間が開いたから更新のハードルがなんか高くなっちゃってなかなか書けなかった。


抱負はとりあえずノートに書いたからいずれこっちにも載せる。


いーーーっぱい書きたいことはあるの。でも手が全然追いつかないから、脳髄にUSBケーブル繋いで考えてること直接書き込めたらどんなに楽だろうって思う。



何度も何度も思い出す小説のこととか、海を眺めながら他愛のない話ができたらそれだけでよかったのにとか、でもそれってこれ以上ないくらいの贅沢だよなとか、来るはずもないいつかのことを想像して切なさで爆発しそうになったり。



酔っていて一人だし、しかも体調を崩しているけど今のところは悲しくなってない。絶えず色んな人の声が聞こえてくるからかね。
悲しい気持ちになんてなろうと思えばいつでもなれるけど。



この宿泊所の広間にはピアノが置いてあって、誰かが弾いてるのがうっすら聞こえてくる。鼻水とまらん。



だんだん酔いも覚めてきたかな。飲み会の帰りとか一人で酔ってると、何もかもわからなくなっちゃえばいいのにってボーッとした頭でよく考える。
これが酔い方として正しいのか、悪い酔い方なのかはよく分からない。私は私でしか酔っ払ったことがないから、みんなが酔うとどんな気持ちになるのか知らない。内面的なものまでは計れない。みんな何もかもわからなくなっちゃうために飲んでるのかな。




ありふれているようだけど、“普通の会話”って人との関わりにおいてこの上ない贅沢なんだな。
普通に何気なく会話ができる関係って、ある程度の親密さがあってこそだし、それを築くために数えきれないほどの会話を踏み台にして、遠く離れたところから徐々に近づいて、沢山の同じ時間を過ごす必要がある。
お互いの性別や立場が違えばもっと大変だし、叶わないこともある。



私は、普通にお喋りしたかった。
それは一生叶わないけど。




このぼわぼわした感じ、お酒じゃなくて熱なのでは。

蒼太郎を偲ぶ

自分の愛用している物に名前をつけると良いらしいと、何年か前に読んだ本に書いてあった。

名前をつけると物と心が通じて、その物が良い働きをするそうな。

交通事故に巻き込まれて車は大破したのに運転手は無事だった。聞けば車に名前をつけて大事にしていたらしい~みたいな。


いやいやいやいやガセ~~~スピリチュアルゥ()~~~ってなるかもだけど、読んだ当時なんか良いなって思ってからずっと、私も大事な物に名前をつけるようにしてる。


前に使っていたiPodは千鶴、最近あんま使わないけど電子辞書は桃瀬、前のスマホは蒼次郎。

2年前に買ってからずっと、何かつけたいな~って思いつつなかなか決められなかったギターの名前は最近やっと彰太に決まった。桑ちゃんに憧れて買ったギブソンレスポールだから。



私が1番最初に名前をつけたのは、その当時使っていた初めてのスマホ。青いSONYXPERIAに蒼太郎と名付けた。


良い働きをするかどうかはさておき、なるほど名前をつけてみると確かに愛着は湧いてくる。

うっかり独り言で口に出しちゃうくらいには、心の中で名前を呼んだり声をかけたりしてた。(今思うととても怖いね?)




それなりに大事に使ってたんだけど、1年を過ぎたくらいのある日、蒼太郎の電源がつかなくなった。
充電が満タンでも、一瞬光ってまたオフになる。


ドコモショップに行って調べてもらうと、容量いっぱいだか使いすぎだかで故障しているとのことだった。低価格で全く同じものと交換できると言われたが、問題はそこじゃない。




蒼太郎が壊れてしまった。

同じものと交換してもそれは蒼太郎じゃない。




電源もつかないので、中のデータを取り出すために分解しなければならず、そのため元の機器は手元に残すことができないと言われた。



私は半泣きだった。ドコモショップで。
なんならほぼ泣いていた。



あんなに大切にしていた蒼太郎が、もう使えない。
おはようからおやすみまで一緒だった蒼太郎が、私のせいで、分解されて、中身を取り出され、戻ってこない。


まさに一人お葬式状態。涙目。ドコモショップのお姉さんと話す声も震える。明らかにお姉さん引いている。当たり前だ。


データがなくなるのはものすごく困るし、うんともすんとも言わないスマホを持っていても仕方ないので、結局交換してもらうことになったが、スマホの交換であんなに辛い思いをしたのは、あの時が最初で最後だろう。




お姉さんが、

「あの、本体は無理なんですけど、これいりますか……?」

と気を遣ってくれて、蒼太郎のバッテリーと本体のカバーをくれた。
今思い出すととっても恥ずかしい。
ありがとうお姉さん。優しいね。珍妙な客でごめんね。



それから私は、半消費物であるスマホに過剰に愛着を持たないことにした。交換してもらった全く同じの新しいスマホには、蒼太郎を偲んで蒼次郎と名付けたけど、前みたいに気持ち悪いほどの愛着を持たなかった。今使っているスマホには名前もつけていないし、カバーも無しで傷だらけだ。







お姉さんからもらった蒼太郎のバッテリーとカバーは今も部屋の本棚に置いてある。