Good-by Seventeen

どうなってんだよ

ジャムパン

4日前、寝る前に下川さんの書いた記事読み返してたら、なんかもう思いがドバドバ溢れてきてちょっと泣いてしまった。

下川さんっていうのは、挫・人間っていうバンドのボーカルなんだけど、私はとにかくこの挫・人間が大好きだ。大げさな比喩とかではなく生きていく上での心の支えだし、挫・人間のおかげでつらい時期を乗り越えることができた。

そんな時期は生きてればまた何度となくやってくるんだろうけど、彼らさえいてくれれば大丈夫だって思える。

書いていけばキリがないから、挫・人間についてはまた今度たっぷり時間を割いて語りたいと思う。ほんとに大好きなんだよ。

 

そんな挫・人間のブログにて更新された下川さんの記事、筋肉少女帯の曲「香菜、頭を良くしてあげよう」についての話を読んで、思わず泣いてしまった。

細かい内容については、ここでは書かないので実際に読んで欲しい。
下川さんのこの曲に対する思いに、苦しくなるほど共感してたまらなく切なくなってしまったんだ。

私は恥ずかしながら下川さんの記事を読むまでこの曲を知らなかった。
聴いてみたら、この前の鬱フェスで大槻ケンヂが弾き語りした際に披露した曲だった。

その時私はぼーっと聴いていただけで、歌詞の内容までは聞き取っていなかった。なんてもったいない!


大好きな彼女が、馬鹿で頭の足りない愛しい彼女が、これから先一人になっても生きていけるように、僕の持っている知識をあげよう、という歌。

傲慢な、それでいて限りなく純粋な愛情を、この恋が終わったとしても彼女の幸せを願う「僕」の気持ちを歌った名曲なんだけど、なんか、わかるんだよね。

大好きな相手に、自分の持てるものすべてをあげようって気持ちが。

愛情の伝え方が、してあげられることがそれしか思いつかないんだ。

でも下川さんの言うとおり、そんなもの無くたって相手は自分で立って生きていけるんだよなぁ。

別々の道で、ちゃんと一人で歩いていけるんだよな。


下川さんも言ってるように、私もたとえそれが片想いでも両想いでも、相手との終わりを考えてしまう。

いつか私のことを好きじゃなくなってしまう時が来るんだろうな。

もしそうならなかったとしても、私が相手のことを好きじゃなくなってしまうかもしれない。

「ずっと好きでいる」ってことがどれだけ難しいことなのかを私は知ってしまっていた。


それは私の挫・人間とあの人に対する気持ちも同じで、自分でも驚くほど熱しやすく冷めやすい私は、いつか挫・人間のことも、あの人のことも、好きじゃなくなってしまうんじゃないか、飽きちゃうんじゃないかって怖くなる時がある。


動画を見ているとき。

曲を聴いてるとき。

写真を見ているとき。

ほんの一瞬、0コンマ1秒、ヒヤッとするときがあって、慌てて考えないようにする。まだここにいたい。夢を見てたい。

だって、他に何を楽しみに、支えに生きていけばいいかわからないから。


でも、ときどき考える


いつか、何年か経って自分がちゃんと平気になったら、挫・人間を必要としなくなるのかな。

挫・人間に頼らなくても、ちゃんと生きていける日が来るんだろうか。

私にも、あの人より大切な人ができて、家庭を持って、幸せになったとき。

今の日々を懐かしく、いとおしく、思い返す日が来るんだろうか。

自分の持てるすべてなんてあげなくても、相手が一人で生きていけるのと同じように。


そう考えたら寂しくて切なくてたまらなくなる。

自分でちゃんと歩けることは良いことなのに。

幸せになれるならそれ以上のことはないのに。

嫌だな、って思う自分がいる。


そんな思いが一気にドバッと溢れて、眠れなくなってしまった夜だった。