Good-by Seventeen

どうなってんだよ

決めた話

心療内科の予約をした。ついに。


ずっと行こうか悩んでいた。

現代人はどんな人でも、あの松岡修造でさえも、心療内科に行けば何かしらの病名がつく、という噂を聞いたことがある。
私のこの不調に何か名前がついて、それでどうするんだ。安心するのか。
病名が分かれば治療ができる。でも薬で治ったそれは本当の私と言えるんだろうか。
調子が持ち直してくると、病院に行くほど大したことないのかもしれないとも思った。
診断を受けとめる自信もなかった。その病名を背負ってこれからどうしていけばいいのか分からなくて怖かった。


何より一番怖かったのは、

“もし何の病気でもないと診断されたら”

ということ。


直しようがなくて、自分の生来のもので、一生このままだとしたら。

考えると怖くて仕方なかった。


世間の理解はまだ充分とは言えないけど、心の病は誰でもなる可能性のある病気。
私の好きなバンドもうつ病を公言している。

好きな人たちと同じなら大丈夫って言い聞かせてもやっぱり怖かった。

でも、行くって決めた。


だってやっぱりおかしいんだよ。
ネガティブ思考は物心ついたときからだけど、前までは、少なくとも去年の春までは、人と会うのにこんなにエネルギー使わなかったし、避けたりもしなかった。
ダルくて全く動けないなんてこと、それまでそんなになかったし、前まで好きだったもの、楽しかったことがぼんやりしてよくわからなくなった。常に考え事でいっぱいで、他のことが頭に入ってこない。
寝つきの悪さ、睡眠の質も不眠症と言って良いくらいに悪化した。
マイナスな感情に敏感になって、そういうニュースや、コンテンツ類のフィクションさえも耐えられなくて避けることが増えた。
気持ちが極度に追いつめられると、喉がぎゅっと苦しくなるあの感じも、ここ一年で出始めた症状だ。
もうすっかり慣れて何の心配もいらないはずのバイトに向かうときも、たまによくわからない不安感に襲われて動悸がする時がある。


何より、普通の人は、こんなに頻繁に「しにたい」って考えたりしない。
(私のしにたいは本当の死にたいじゃなくて、逃げ出したい、消えてしまいたいの意)


おかしいんだよ。気のせいなんかじゃない。これは、ちゃんと病気だよ。

だから、病院に行って、ちゃんと治療して、“本当の私”に戻るんだ。

もしも病気じゃなかったとしても、そうはっきりとわかったのなら、“そういう自分”としてどう付き合っていくかを考える。


その覚悟がやっとできた。


だってさ、私はあと60年以上生きるのに、ずっとこうやって地べたのたうち回って生きていくの嫌なんだよ。

ちゃんと自分の望むように生きたい。自分の人生を生きていきたい。こんなことに振り回されたくないんだ。

ほんとは、人生1回じゃ足りないくらいに、やりたいこと沢山あるんだ。
あっという間なのに、これ以上時間を無駄にしたくない。

ある言葉が、光景が、そう思わせてくれた。



もっと楽しく生きるんだ。