Good-by Seventeen

どうなってんだよ

よくない

わたしが長文を書きたくなるのは、だいたい何かしら悩んでたり落ち込んだりしてる時で、だからこのブログも温度が低めでボソボソしてるんだな。
嬉しさは刹那的で憂鬱はずっと続いていくのなんでなんだ、納得いかん。
嬉しいことはだいたい音楽のアカウントか、インスタのストーリーに載っけちゃうから、一部の人から見たらわたしは鬱々とした人なんだろうな。間違ってないけど。

わたしの精神衛生がよろしくないのはまあいつものことなんだけど、最近、ふっと思い出しては膝の力が抜けてしまうような、そんなどうもできない悩みばかりだ。
疎外感を感じてしまうこと、将来のこと、あの人のこと。
この“あの人”が少し前の記事で書いた“あの人”と違うの、面白い。

みんな、「会えなくて寂しい」とか、「もっと参加してほしい」とか、言うくせに、肝心な時には誘ってくれないんだな。
その気にかけてくれる優しさを嘘だとは思わないし、きっと心から心配してくれてるんだろうけど、だからこそタチが悪い。ほんとに私、いらないんじゃん。って思うよね。嫌でも。
「お前なんていなくても同じだよ」って、さんざん見せつけられて、平気でいられる人の方が少ないだろ。高校の時とおんなじことで苦しめられててうんざりするわね。

将来のことはずっと考えているけど、どのルートで考えても奨学金返済という壁が立ちはだかってしんどい。みんなインターンとか行き始めているけど、私は何もしていない。今は。就活は人と比べないことが大事って先輩も言っていたし。いつまでもモタモタしてられないけど。

あの人のことは、もう、それこそどうしようもなくて、ただの憧れを勘違いして、大げさにして悩みたいだけなんじゃないのかとか思ったりして。
ほんとに私は昔から、叶わない人を好きになるのが好きなんだな。馬鹿が。
それ以前に、これを、恋愛感情だと認めてしまっていいのか。どうかしてるな。
人のポケモンにボールを投げるのはルール違反だよ。
だから、悩む余地なんて無いんだよ、そもそも。
素敵だなぁ、話せて嬉しいな。ただそれだけでいいのに、なんでこじらせるのか。
「もしも」も、「万が一」も、存在しないんだよ。こればっかりは。
他の2つと違って、これは私の意識さえ変われば解決するんだよな。他にちゃんとした好きな人を見つければ。
こういう叶わない想いについて考えると、いつも挫・人間の「お兄ちゃんだぁいすき」って曲を思い出す。
この気持ちを相手に絶対に悟られてはいけない。週に3回顔を合わせるのに、これから1年耐えられるかな。
本当に私は気持ち悪いな。無機物になりたい。

何ヵ月か、何年か経ったらこの気持ちも、「そんな事あったなぁ」「馬鹿なことで悩んでたな」って恥ずかしい笑い話になってしまうのかな。
なんか、そういう風に一時の気の迷いみたいにしたくない。本気で考えてるのに。